2013年9月19日木曜日

常識

常識

改めて考え直すと、凄く難しい言葉だと感ずる。

『そんなん常識やん!』と言われ、子供の頃に落ち込んだ事もあったなぁ。

『そんな事も知らんのか?』と言われ、大人になってもやっぱり落ち込んだ。

国によっても常識は違うし、住んでいる地域によっても異なる、もちろん自分の家だけのローカルルールでさえ、ある意味自分家の常識だ。

多くの人は言われれば、そこまでは一応の理解を示す。

けれども実際にその場に出会うと、『常識の無いやっちゃな~』と平気で思ってしまう。

生活の環境が異なれば当然、常識の尺度が異なる事は理解しつつも、尺度の基準は自分自身を基としてしまう。

たとえそれが家族や兄弟であっても、まるっきり同じ常識の尺度だとは限らない。

日本人は島国だからなのか、そこのところは寛容の度合いが低いんだろうね。

だから、異質なものは極力排除しようとする。排除出来ないストレスが虐めに繋がるケースもある。

画一的な日本人は多くの人が理想とする究極的な姿なんだろうけれど、それはまるでアニマルジャパンを象徴するように、誰もが七三分けで濃紺のスーツを着ての世界になってしまい、外国人が見ても誰が誰だか見分けが付かない。

それは、自分の住居に対してもあるらしく、広大なマンション団地に住んでいると、酔って帰る際に間違って隣の塔の自分の家の場所で、開かない鍵をガチャガチャとさせる光景を目にする事もある。

車でもそうだ、一時流行りに流行った白のマークⅡに至っては、駐車場に有り過ぎて停めた当の本人が、どれが自分の車か判らずに、手当たり次第に鍵を突っ込んでいる光景を何回も見た事がある。

おっと、脱線だね。。。



自分自身の常識に捉われていると、意見が異なる相手の常識を悪と見なしてしまいがち。

相手が常識と思い良かれとやった事を頭ごなしに怒らずに、なぜそうしたかを探って自分の常識と何処が違うのか、そんな事を考えた上で相手を誘導する。

ゆくゆくはそんな自分に成りたいんだけれど、修業が足りずまだまだ丸くはなっていない様です。

でも、まあ、自分の常識も時と場合によっては、自分自身の進化の妨げになるんだよね。

こうしちゃ駄目の先に、なにか新しい発見がある場合もあるし。

自分の常識は打ち破れ!!

他人の常識を理解しろ!!

ってところです。




結局書いていて、自分への戒めだね。

実は下の子の勉強の取組や理解が悪くて、両親共々腹立ててばかり。。。

なんとか救いの手を差し伸べようとするけれど、苛立ちが募って罵声を浴びせたり、投げやりに事を進めてしまう事も。。。

自分の感情を一旦リセットして救いの手を差し伸べ、本人のやる気を引き出す方法を探らないとね(^^)

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