2013年1月17日木曜日
1995年1月17日 AM5:46
あれから18年、、、記憶を思い返せば蘇るが、正直なところ地震に対しての体の反応が普通に戻りつつある。
夜中にぐっすり眠れるようになって嬉しい反面、鈍感になった自分に『このままでいいのか?』とも思う。
震度1程度を寝ていても感じない状態になるまで要した時間は15年程だったと思う。そこから更に3年、18年経った今は起きていても震度1を感知しなくなった。
それでも予想外に揺れた時は、一気に五感が研ぎ澄まされる。その時だけは18年前の感覚が戻る。
感覚が研ぎ澄まされる事で、日常の生活において全ての振動が気になってしまう。
これが結構厄介なんだよね。どんな事かと言うと。
1)歩く際に、靴底のゴム部分のたわみが気になる。
2)歩道橋や陸橋で、振動による動きやたわみが気になる。
3)建物にいて、近くの道路を通るダンプカー等の走行で揺れを感じる。
4)高層タワーで、揺れによるはっきりとした位置ズレを感じる。
5)モーター等を用いた装置関係の振動を感じてしまう。
6)車に乗って、トラクションコントロール等アシストする動きを感じて気持ち悪くなる。
6)に関しては未だに駄目、XC90を真に自分の物に出来ないのはこの要因も大きい。アシストを切れば済むんだけど、安全の為の
アシストを切るなんて本末転倒。本当に欲しい時に動作しない安全装置なんて、なんの意味も無いからね。
震災によって生活環境に被害が生じる事は無かったが、それ以外では少し支障があった。
寝ていてもほんの少しの振動で目が覚めてしまう。
これには正直参った(涙)
余震が続くので、満足に寝れない日々が3年程続いた。
でも最初は、地震の時にもの凄く揺れたのに、『地震の夢見てる、気持ち悪いなぁ』『倒れて来るものは無いけど、屋根が崩れた
ら嫌だから布団でも被って』と強引に布団を被って寝たんだ。
で、余震の時に起きて部屋の中に物が散乱。。。
混乱してテレビを点けると、画面が真っ赤。
下に降りて家族の確認をして出社準備をするが、駅では電車が動いていない。
とりあえず東大阪は布施駅から会社方面(地下鉄の西中島南方駅)に向かって歩く、途中何回も電車状況を確認し途中から乗車。
それも淀川手前で終了。
橋を渡らなければならないが、徒歩で渡るのが怖い。
運よくタクシーを捕まえて会社へ。
会社近所の2人程が電話で安否の真っ最中だった。
家に帰ると、フェスティバキャンバストップの屋根にスチール棚が倒れていた(涙)
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